「自由と壁とヒップホップ」では、皆さんご存知の
タイベビールのふるさと、その名もタイベ村での「オクトーバー・フェスト」が重要なシーンとして登場します。しかし同作の日本公開にあたって、なぜかタイベビールの日本総代理店であるセーブ・ザ・オリーブにはタイアップのオファーはなかったとのこと。
そこで、マルハバ!パレスチナの千葉上映会では、当日配布資料にセーブ・ザ・オリーブの社長さんから文章を寄せてもらいました。
どうぞご一読ください…。
タイベビール Drink to resistセーブ・ザ・オリーブ運営責任者
宮澤 由彦
パレスチナでラップだって?―イスラムの国でアメリカの音楽なんてあるの?紛争地で流行の音楽なんかやってる場合なの?・・・どうせ大したことないんだろう?・・・
このもっともな反応は、知る人ぞ知るパレスチナの地ビール、「タイベビール」へのそれとまったく同じだ。パレスチナで地ビール?イスラムの国でビールなんかつくってるの?紛争地なのに悠長にビールつくっている場合なの?・・・どうせ水みたいで美味しくないんだろ?そのビールを私たちは日本に輸入している。
映画の後半、DAMたちが車の故障を直しつつ辿り着いたライブ会場は、ラマラから15キロほど行ったタイベ村のビール祭りだった。タイベ村では、家族経営のタイベ・ブルーイング社が1995年から「タイベビール」を醸造している。中東初のクラフトビールでパレスチナ唯一のビールである。味は予想を裏切って実に美味しい。
タイベ村はパレスチナに唯一残るキリスト教徒100%の村で、人口1500人の小さな村である。タイベビールが世に出てはじめて地図にも載るようになったという。
パレスチナには人口の3~5%ほどのキリスト教徒がいる。故アラファト議長の奥さんもクリスチャンだった。しかも巡礼を含めて年間何百万人もの観光客が訪れる地域である。だからビールも造れるし、売り先もあるのだ。そしてこの小さな山上の村で2005年にビール祭りがはじまり、今では村の会場に二日間で1万五千人近い人が集まってくるまでになった。西岸地区のキリスト教徒だけでなく、周辺の村のムスリムの若者たちも多い。外国人や自治政府関係者も、美味しいビールと息抜きを求めてやってくる。いまやパレスチナでもっともインターナショナルで活気のあるイベントと言ってよいだろう。
今でこそ、国内外で知られるようになったタイベビールだか、20年前の発足時にはイスラムの国でビール工場作りとは気でも狂ったのかと思われたらしい。
1993年のオスロ和平合意のあと、これで平和になる、さあ国づくりだと希望を抱いて故国に戻ってきたパレスチナ人たちの一部は、ホテルや工場などに投資した。タイベ村出身でアメリカに移住していたフーリー家も、次男のナディムがアメリカで習得した地ビール醸造の技術を核に地ビール工場をつくった。
丘を越えた先の清浄な泉から引いている仕込み水は、ビール醸造に適していて、とても美味いビールを醸す。当初は折からの和平ムードに乗って売り上げは順調に伸びた。しかし2000年に勃発したインティファーダ(民衆蜂起)の影響で、売り上げは最盛期の1/5まで落ち込み、従業員は全員解雇して家族だけで作らざるを得なくなった。それでもナディムはあきらめず、ビールを造り続け、ビール祭りへのチャレンジによって、息を吹き返してきた。「いつかパレスチナが独立して国産のビールで乾杯できることを楽しみにしている」とナディムはいつも自信ありげに語るのだ。
検問所の近く、イスラエルの作った巨大なコンクリートの壁に“To exist is to resist ”(存在することは抵抗することだ)と、パレスチナ人の有名な落書きがある。タイベ社にとっては、“To brew is to resist”。ビールを造り続けることは抵抗なのだ。パレスチナでラッパーとして活躍することも同じ。日常を音楽で表現し、ビール片手に友と語らい、人生を謳歌する。ふつうの暮らしを続けようとすること、他の国の人と同じであり続けようとすること。それがパレスチナ人の国づくりへの意思と意地を示す抵抗なのだ。
ビール好きで知られる
フランク・ザッパの有名なことばがある。“ビールと航空会社を持たないと、ほんものの国家にはなれないね―。フットボールチーム、あるいは核兵器を持つのもまあ役に立つだろう。けれど最低限、ビールは必要なのさ”。

